渡辺眞子
物心つく前から常に犬が傍にいる生活。そんな家庭に育ち、大の犬好きで知られる作家の渡辺眞子さん。犬は一番身近い存在のパートナーであり、人間と動物という距離感はあるものの、互いの生き方を尊重し合い、バランスのとれた生活を共有する仲間でもあった。

そんな何処にでもいるような、『一飼主』であった彼女の生活を一変させたのは、『殺処分』をテーマとした本を発刊したいと言う、ある出版社社長との出会いだった。 「犬猫達の置かれた現状や殺処分について、知識としては何と無く知っていましたが、現実の問題として直視した事はなく、他の人と同じように、出来れば触れたくないテーマでした。しかし、多くの人達との出会いは、生命あるものと暮らすことの大切さを今一度見詰め直す切っ掛けともなり、それが不幸な犬猫達を減らすための長く過酷な旅へと、自然に導かれて行ったのかも知れません」。
取材を始めた当初、日本における犬猫達の現状は絶望的なものであった。年間で約65万頭、これは一日に約1780頭、一時間当りでは74頭、つまりたった1分の間に1頭以上もの尊い命が奪われていたのである。それもその殆どは、何処にでもいる『普通の飼主』によって捨てられたものである。彼らの多くは、保健所に持っていけば、『なんとかなる』『誰かが貰ってくれる』『安楽死される』などと勝手に思い込んでいる。

一方、飼主に無償の愛情を捧げてきた犬猫達は、何故自分がこのような仕打ちにあうのかも理解できぬまま、不慣れなコンクリートで覆われた監獄のような施設で、恐怖や孤独感と闘いながら数日間もの間、飼主の帰りを信じて待ち続ける。しかしながら、彼らに救いの手が差し伸べられる見込みは殆ど無く、安楽死という名のもとに、その小さな命は奪われていく。ガスで窒息させられ、泡を吹きながらもがき苦しみ、痙攣してやがては倒れていく。それでも、小さな体を奮い立たせ、なんとか立ち上がろうとする。呼吸の浅い子犬などはなかなか死にきれず、生きたまま焼却炉に落とされることもある。こうして彼らの短い人生に終止符が打たれる。捨てた飼主達は、彼らがどんなにか辛く、苦しく絶望感に苛まれたかも知らずに。
炭酸ガスによる殺処分は、動物達に窒息という大きな苦しみを伴うことから、倫理的な観点から問題視されてはいるものの、職員の安全確保や心理面での負担軽減、効率的に大量処分でき、国庫から補助金が出るなどの理由から使われ続けている。

後に大反響を呼ぶ事になった、著書『捨て犬を救う街』の冒頭で渡辺さんは、次のように語っている。 「犬たちは、私をじっと見つめた。つぶらな瞳は悲しむでも責めるでもない。ごく独りよがりな解釈だが、あえて言えば、それはすべてを受容するような、あるいは無言で諭すような、とても穏やかで真っ直ぐな眼差しだ。痛いほどの視線を全身に受けながら、私は懸命に立っていた。それだけで、やっとだった」。
リベラルな都市として世界的に知られているサンフランシスコには『動物を一頭も殺さない』シェルターが存在するという。SPCA(対動物虐待防止協会)では、実際に犬猫を 『殺さない街』を作ろうとボランティアが意識の高い活動をしている。保護された動物たちは適切な世話を受け、遊んだり散歩したりと快適な生活を送りつつ、人間社会に適応するための訓練を受け、引き取り手を待つ。しかし、実際には『動物を一頭も殺さない街』は存在しなかった。SPCAで収容しきれなくなった動物達は、隣接したACC(動物管理課)で、安楽死処分されているのが現実である。

日本に限らず、アメリカやヨーロッパにおいても無責任な飼主は多く存在する。動物に対する法律は充実し、市民の動物愛護意識は高くても、虐待や放棄される犬猫は後を絶たず、結果として多くの尊い命が奪われている。しかし、日本とそれらの国とでは、問題に対する取り組みが根本から異なる。彼らはアニマルポリス、避妊手術、シェルターや法整備など、不幸な犬猫を少しでも減らすために、多くの人が懸命に努力をしている。動物愛護週間と銘打って、2、3回しか使わない動物の着ぐるみに、多額のお金を掛けるだけの国との差は歴然だ。
ペット先進国と言われている国々との比較において、当時の日本の現実は余りにもお粗末であった。しかし、絶望的ともいえる現実に直面し、不条理を感じながらも、その先には希望があると信じ、多くのボランティア達は、爪に火を灯すようにして懸命な努力をつづけてきた。 不幸な犬猫の数があまりにも膨大で、努力しても無駄なように感じる事さえあったが、驚く事に、ここ数年における犬の殺処分数は、年間2万頭づつ減り続け、今では年間36万頭にまで減少した。

最近では松野頼久議員の協力などもあり、厚生労働省からの異例の通達により、保健所にいる動物達にも、生存の機会を与えるための予算が設けられるようになった。人間の福祉を司る厚生労働省が、動物問題に携わることは画期的な出来事であり、ここ数年の間に日本でも、動物達を取巻く環境は大きく変わりつつある。動物愛護基本指針の中には、殺処分数を10年で半減させる計画が書かれており、センターなどを改装改築しシェルター化する場合や、マイクロチップ推進などに対して補助金が出される事になっている。

また、再来年には動物愛護法の見直しが控えている。ことによると更なる改善が見込めるかもしれない。米国や西欧の多くの国々では、8週齢未満の犬猫の取引や輸送、販売を禁止している。これは母親からの授乳や兄弟と一緒に生活し、社会化されていくのに最低限必要な期間とされている。子犬にとっては、この時期に経験した様々な体験が、後の成長に大きく影響するからだ。

前回の改正は、この8週齢を軸に検討がなされ、早過ぎる子犬の販売を規制する方向で話が進められていたのだが、様々な外的要因や圧力により、何時の間にか「うやむや」にされてしまっていた。しかし、今度こそ是非実現化してもらいたいと、渡辺さん達は強く願っており、政策立案過程で、一般の人が参加できる唯一の場でもあるパブリックコメントへの参加を多くの人に呼びかけている。 「犬猫はもはや野生動物ではありません。もともとは野生だったのを私たちが自分たちの都合で連れてきた訳ですし、その生殖と数をコントロールするのは私たちの責任だと思います」。
日本のペット事情は今過渡期にある。10年前は動物福祉という概念すらなかったが、今では若い世代を中心に関心が深まってきている。動物の保護活動というと、どうしても『現場に行っての活動』や『引き取る』などの直接的なレスキューを考えがちだが、何もそれだけが救う方法ではない。「どんな事でも、自分の得意分野でアプローチするのが大切です。押し付けるものではなく一人一人が何が出来るかを考えて欲しい。これは一人一人の問題であって、解決するのは専門家ではありません」。

一飼主の目線でこの問題に向き合い、多くの読者の共感を呼んだ『捨て犬を救う街』。不幸な犬猫を減らすために踏み出した渡辺さんの希望を見つけるための旅であったが、「取材を通し、本当に沢山の人達がこの問題に心を痛めていたんだと初めて知る事になりました。そういう人達が書かせてくれた本だと思っています。今ではこの本は私の手を離れ、どんどんと遠くまで旅をしているのかもしれません」。

■取材協力:渡辺眞子 
■写真提供:渡辺眞子/山口美智子
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里親探し日記